ゆりまりパパの家ブログ

子どもの話、ミサワホーム蔵のある家の二世帯住宅や日常生活などの話をします。都内在住、6歳と3歳の娘がいます。

子供から大学時代まで

電車に揺られてるゆりまりパパです。

 

このブログを私が書いていると知ってる人は、妻を含めて6人です。

 

子供の成長の記録と、高い買い物マイホーム購入の時の参考にと、ボロボロの体でも家を建てられるんだ。

 ということを書くつもりでしたが、体の事について、あまり触れてませんでした。

 

私は、社会人になるまでは苦労することなく、自由に暮らしていました。

 

小学校の時にはまわりが、中学受験するからと塾に通い、勉強することなく、遊びまくり。

 

夕方になっても帰らず、母にサッカーボールを包丁で刺されたことは、今でも忘れません。

 

受験ではほとんど落ち、1つの合格と1つの補欠合格をもらいました。

 

補欠合格と言っても、〇日までに30万円振り込めます?って感じの電話だったらしいですが…。

 

親父は30万を出して、大学の付属の中学・高校に入れてくれました。

 

しかし、入学しても勉強に着いていけずに

300人中298番などの成績でした。

 

中学生の時には、私の成績不振から両親が喧嘩をして、保護者面談には親父が来るようになりました。中学2年の親子面談で親父が担任から

 

「頭はいいはずなんだけどね。」

 

という言葉を聞いて、大人って無責任だなと思った。

親父は悔しかったらしく、

「これから、お前の教育担当は俺だから。」

と言われ、

 

前日の夫婦喧嘩では、母の言葉を聞いていた。

「小学校時には、ほぼ毎週韓国へ。ろくに親らしいことしないで、今、成績悪いを私のせいにしないでよ!!」

と言ってたことが、頭をよぎりました。

 

次の親父の一言は

「100番順位あげたら、なんでも買ってやる」

 

当時、エアマックス95が流行っており、

ただのスニーカーなのに1足7万円という時代。

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死ぬ気で頑張りました。買ってもらうために。

このスニーカーが私の人生の方向転換のキッカケに。ちなみに、スニーカーは最近、2月下旬に発売されて、早々に完売で高値で取引されてます。

 

勉強した結果、中学3年のはじめのテストでは28番という成績を取りました。

 

すると、周りの大人は手のひらを返して、やれば出来る子だと思ったんだよ〜。と言っていました。とりあえず、結果が全てだということを実感した出来事でした。

 

その後は、ずっと同じくらいの成績を維持していきました。高校生活でサッカー部の集団飲酒、喫煙事件で停学になりそうでしたが、偶然その場には私はいなくて、他の友達は停学処分を受けてました。

 

その際、最後まで担任からは疑われました。

 

私の行っていた高校は渋谷のチーマー文化を作った高校。地元は市川海老蔵さんの六本木事件のグループ。という環境でした。

 

無事大学への内定を。

両親の田舎が青森県ということもあって、中学生からちょこちょことスノーボードを開始。

 

高校3年生の冬は御茶ノ水のスノーボード量販店でアルバイトをして、月20万以上をもらっていて。バイト終了後には懇親会→キャバクラデビューまでしてました。

 

当時、26歳の背中にタトゥーの入った、昼エステシャン、夜キャバ嬢と付き合っていました。

免許取り立てで車に乗っては、送り迎えしていました。

 

クリスマスパーティーで六本木のクラブに行くと、昔新宿のホストクラブの有名社長がいて、体験入店で20万もらいました。本当は下積みがあるのですが、特別扱いということで体験しましたが、ここにいてはまずいと思い、彼女とも別れました…。

 

大学の入学式は白髪でした。

当時、イベントサークルというなの団体が多く、入学式の武道館までの道で

「君なら即戦力だよ」と声をかけられて、「なんでお前と一緒にならないといけないんだ」と入学式前に揉めた記憶も今では昔。

 

入学後は、付属高校時代の友達よりも、スノーボードを通じた友達達とスノーボードサークルを大学1年の時に設立。

 

バス、リフト券、宿などを仕切り、1回のバスツアーで50万くらいの上がりを作って回してました。それを年3回。卒業する時には、年間で300万くらいは上がってました。

また、サークル時代に協賛社をセールスしたりしました。今でも、小さくなりましたが、まだ残ってるらしいです。

 

学生時代のバイトはメーカーさんと契約して、量販店でのスノーボード販売でした。

秋からシーズン前くらい。12月のボーナス時期は過去最高70足くらいのブーツを売っていました。当時大体が3万円以上ですから、1日で250万は売ってました。笑

 

その他、吉祥寺で、カラオケのキャッチのバイトもしましたが、その店はすぐに潰れました。

 

就職活動は行きたい会社1社だけだったので、練習といって、大手銀行の内定を受けましたが、親父が元銀行員で自営業なので、親父と同じ理由の「他人の金数えたくない」という理由で辞退しました。

 

志望の会社には、8次面接くらいで、なんで責めされて、「だから、あなたには分からない、絶対的なセンスがあったから」と答えて、切られました。

 

その後、スノーボード関係の会社が拾ってくれるとのことでしたが、親父からの紹介で受けた会社に内定を頂いて、今に至ります。

 

今度は、社会人から大きな病気一個目までくらい書きます。