ゆりまりパパの家ブログ

子どもの話、ミサワホーム蔵のある家の二世帯住宅や日常生活などの話をします。都内在住、6歳と3歳の娘がいます。

ステロイドの副作用 突発性難聴から特発性大腿骨頭壊死症へ

幼少期から、社会人までの間について書いてきましたが、今回は突発性難聴の治療で使ったステロイドの副作用から特発性大腿骨頭壊死症になった話をします。

 

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突発性難聴は、正直ついていなかったなということで自分の中では解釈をして、通常通りの生活をしていました。

 

めまいは慣れて、目をつぶっての片足立ちなどもできるようになり、スノーボード、フットサル、お付き合いでのいきなりのハーフマラソンなどもこなして、右耳が聞こえないけど通常の生活をしていました。車の運転などでは、救急車のサイレンをどの位置、距離を把握するのがやはり難しいので、神経を使いますが…。

 

そんな、生活を2年くらい繰り返していたら、走った後に股関節の付け根が痛く、フットサルをした後も付け根が痛くて。

毎回、病院に行きリハビリをしては運動をして痛くなる。特に骨も大丈夫だから筋違いとかでは?と言った感じ。

 

私も大丈夫だろうなと思っていたので、理学療法士が多くいる広尾の整形外科に行ってました。そこには、芸能界の大物も来ていました。

 

でも、毎回痛いので心配なので、MRIを取ることに。すると、股関節の大腿骨の所に影が…。

 

医者の先生から「特発性大腿骨骨頭壊死症だね」と。

 

その時は、よく病気が理解できなかったですが家に帰って調べて1人で泣きました。両親にも病名を言うと、母親は壊死って…。の一言でやはり調べては泣いたらしいです。この時、私はまだ27歳だったと思います。

 

お医者さんって、いきなり大きな病名をさらりと言うんだなと。今、思い出してもそう思います。

 

しかし、まだ走れる、動ける状態だったので、スノーボード、フットサルなどをしているうちに徐々に反動の痛みが大きくなって行き、運動を辞めて病気と向き合うことにしました。

 

そんな状況下ですが、妻との結婚が決まり、近いうちに歩けなくなるけどいいの?と聞いてたのを覚えています。

 

結婚式の時は痛みを堪えながらも、歩いて新婚旅行にも行きました。足を引き立って歩いていたら、ハワイの税関では優先的に通してくれました。

 

まず、行ったのは順天堂病院。

ここは、保存治療と筋肉をつける運動療法を勧める病院でした。ここに通い、プールでのウォーキングをしていましたが、痛みはますばかり。杖を使っての生活を勧められ、杖を使っての生活がスタートしました。朝の通勤ラッシュはかなり辛かったです。

 

でも、徐々に痛みは増して31歳のタイミングでは右足の股関節の骨は潰れてこんな状態に。

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このまま、保存治療では流石に厳しいと判断して手術をすることを覚悟しました。この歳に長女ゆりこは誕生してます。

 

自分で病院を調べたり、医者の友達などに情報を聞くうちに、東京では、日産厚生玉川病院の松原先生がいいとの情報が入りました。

 

紹介状を書いてもらい、予約をしても初診までに6ヶ月待ちでした。でも、運良く3ヶ月先にキャンセルが出たとのことで早く受診することができました。

 

松原先生との初対面の会話は、

「良くこんな状態で歩いてられるね。」

 

「この状態が長く続いてるということは、リハビリをしっかりしてください。」

 

「潰れてない方にも腫瘍はあるから、切るなら同時だね。手術日はいつにする?」

 

呆気にとられて固まっていると、彼は

 

「君は何のために我慢して、私に会いに来たんだ?」

 

から始まり手術方法など詳しく説明をしてくれました。その場で手術日を決め、それまでは、検査と自己輸血のための採決を3回ほど通いました。

 

ちなみに、順天堂病院では、片足ごと手術して社会復帰までは最低2年は見たほうがいいと言われてました。玉川病院では、両足手術でも3ヶ月後には会社に出れるといいなと言われました。

 

手術日は妻の誕生日に決まりました。