電車に揺られてるゆりまりパパです。
このブログを私が書いていると知ってる人は、妻を含めて6人です。
子供の成長の記録と、高い買い物マイホーム購入の時の参考にと、ボロボロの体でも家を建てられるんだ。
ということを書くつもりでしたが、体の事について、あまり触れてませんでした。
私は、社会人になるまでは苦労することなく、自由に暮らしていました。
小学校の時にはまわりが、中学受験するからと塾に通い、勉強することなく、遊びまくり。
夕方になっても帰らず、母にサッカーボールを包丁で刺されたことは、今でも忘れません。
受験ではほとんど落ち、1つの合格と1つの補欠合格をもらいました。
補欠合格と言っても、〇日までに30万円振り込めます?って感じの電話だったらしいですが…。
親父は30万を出して、大学の付属の中学・高校に入れてくれました。
しかし、入学しても勉強に着いていけずに
300人中298番などの成績でした。
中学生の時には、私の成績不振から両親が喧嘩をして、保護者面談には親父が来るようになりました。中学2年の親子面談で親父が担任から
「頭はいいはずなんだけどね。」
という言葉を聞いて、大人って無責任だなと思った。
親父は悔しかったらしく、
「これから、お前の教育担当は俺だから。」
と言われ、
前日の夫婦喧嘩では、母の言葉を聞いていた。
「小学校時には、ほぼ毎週韓国へ。ろくに親らしいことしないで、今、成績悪いを私のせいにしないでよ!!」
と言ってたことが、頭をよぎりました。
次の親父の一言は
「100番順位あげたら、なんでも買ってやる」
当時、エアマックス95が流行っており、
ただのスニーカーなのに1足7万円という時代。
死ぬ気で頑張りました。買ってもらうために。
このスニーカーが私の人生の方向転換のキッカケに。ちなみに、スニーカーは最近、2月下旬に発売されて、早々に完売で高値で取引されてます。
勉強した結果、中学3年のはじめのテストでは28番という成績を取りました。
すると、周りの大人は手のひらを返して、やれば出来る子だと思ったんだよ〜。と言っていました。とりあえず、結果が全てだということを実感した出来事でした。
その後は、ずっと同じくらいの成績を維持していきました。高校生活でサッカー部の集団飲酒、喫煙事件で停学になりそうでしたが、偶然その場には私はいなくて、他の友達は停学処分を受けてました。
その際、最後まで担任からは疑われました。
私の行っていた高校は渋谷のチーマー文化を作った高校。地元は市川海老蔵さんの六本木事件のグループ。という環境でした。
無事大学への内定を。
両親の田舎が青森県ということもあって、中学生からちょこちょことスノーボードを開始。
高校3年生の冬は御茶ノ水のスノーボード量販店でアルバイトをして、月20万以上をもらっていて。バイト終了後には懇親会→キャバクラデビューまでしてました。
当時、26歳の背中にタトゥーの入った、昼エステシャン、夜キャバ嬢と付き合っていました。
免許取り立てで車に乗っては、送り迎えしていました。
クリスマスパーティーで六本木のクラブに行くと、昔新宿のホストクラブの有名社長がいて、体験入店で20万もらいました。本当は下積みがあるのですが、特別扱いということで体験しましたが、ここにいてはまずいと思い、彼女とも別れました…。
大学の入学式は白髪でした。
当時、イベントサークルというなの団体が多く、入学式の武道館までの道で
「君なら即戦力だよ」と声をかけられて、「なんでお前と一緒にならないといけないんだ」と入学式前に揉めた記憶も今では昔。
入学後は、付属高校時代の友達よりも、スノーボードを通じた友達達とスノーボードサークルを大学1年の時に設立。
バス、リフト券、宿などを仕切り、1回のバスツアーで50万くらいの上がりを作って回してました。それを年3回。卒業する時には、年間で300万くらいは上がってました。
また、サークル時代に協賛社をセールスしたりしました。今でも、小さくなりましたが、まだ残ってるらしいです。
学生時代のバイトはメーカーさんと契約して、量販店でのスノーボード販売でした。
秋からシーズン前くらい。12月のボーナス時期は過去最高70足くらいのブーツを売っていました。当時大体が3万円以上ですから、1日で250万は売ってました。笑
その他、吉祥寺で、カラオケのキャッチのバイトもしましたが、その店はすぐに潰れました。
就職活動は行きたい会社1社だけだったので、練習といって、大手銀行の内定を受けましたが、親父が元銀行員で自営業なので、親父と同じ理由の「他人の金数えたくない」という理由で辞退しました。
志望の会社には、8次面接くらいで、なんで責めされて、「だから、あなたには分からない、絶対的なセンスがあったから」と答えて、切られました。
その後、スノーボード関係の会社が拾ってくれるとのことでしたが、親父からの紹介で受けた会社に内定を頂いて、今に至ります。
今度は、社会人から大きな病気一個目までくらい書きます。