子供から大学時代の続きを。
社会人になって入社2年は名古屋に。内勤の仕事でした。毎週土曜日に早朝野球、日曜日に社会人の3部リーグの草サッカーをしてました。
お酒は飲める方だったので、同期の中では夜の飲み会担当なと勝手に振り分けられてました。この関係が、今でも生きています。
でも、当時は私は親父の紹介のコネ入社、みんなは難しい試験を通った人。
業務日誌には、他はピシッと書いてるのに、私は馬鹿か?みたいなことしか書いてなかったかな。
ある時、社内の研修会というチームに別れて一定のテーマを話合い、発表する行事に他のメンバーが新入社員が入ってないのがおかしいと日誌に記入、私はやりたくなかったのメンバーに入り、「お前らの代はやる気がすごいよな」とか言われた記憶があります。
それはどうあれ、2年目の夏の金曜日に、東京転勤の内示がありました。当時は花形のポジションの営業部でした。でも、週が明けると、か「東京は変わらないけど、内勤な」と上司から。
元々は転勤拒否をした人の穴埋め人事でした。しかし、東京は東京で先に営業に出したい人がいるとのことで内勤に。
簡単に動かされる駒になってはいけないんだと心に刻んだ人事でした。これが、今の原動力でもあります。
それから、ちょっとすると仲の良かった東京出身の後輩が名古屋から転勤に来て、冬は毎週末スキー場、平日は飲みつぶれるまで飲むという生活をしていました。
4月の中旬の土曜日当番の朝、いつも通りに二日酔いで出勤。いつもよりもフラフラするな〜って感じで出勤。でも、いつもとかなり違いまっすぐ歩けないくらいでした。
下を向いてもグルグル回ってる感じで辛いな〜と思ってました。でも、電話に出た瞬間。
俺、右の耳が聞こえてないって気づきました。
すぐに当日担当だったみんなに、病院に行く旨を伝えて、病院に行きました。聴力検査をしても右の耳は全く聞こえず、医師から「突発性難聴」だと告げられ、今すぐ入院をとのことでした。
入院先は突発性難聴の人がよく、入院する荏原病院に入院することになりました。しかし、土曜日だったので、月曜日からの入院になりました。
後で調べてみると、突発性難聴の場合、早めれば早いほど、聴力が戻る傾向があるとのことで、4割は完治、4割は改善、2割はそのまま。と言われている。私の場合は2割に当てはまる。
なぜ、突発性難聴になるのかは、原因不明で、最近では堂本剛がなりたしたが、他にも浜崎あゆみさん、サカナクションの山口さん、スガシオカさん、坂本龍一さんなど、そうそうたる顔ぶれ。大物に仲間入りしたということだ。
入院生活では、ステロイドの点滴を朝、昼、晩に投薬。午前中には高圧酸素療法で酸素を吸いながら横になるメニュー。午後は首の耳に当たる神経をブロック注射を打つ。たまに、神経に当たるとバチっと音がなる。注射後は麻酔科のベットで横になり戻るが、なんか、独特の疲れで横になる。そんな日の繰り返し。
ステロイドの点滴を受ける際には、ステロイドの副作用の説明で、「何万人かに1人くらいの割合で副作用で血が溜まる病気になる人がいる」と説明を受けて、サインをした。
その時は、聴力が戻って欲しい一心だった。
このステロイドが私の次の病気の原因になるとは当時は全く考えてなかった。